とりわけギリシアのようなコンパクトな都市国家は,自己コントロールが政治的に重要であることは自明だっただろう。人々は徒歩で動き,いたるところに召使や家族の目があった。いちばん栄えていたころのアテネが良い例だ。数千人の市民(とさらに数千人の女性,子どもたち,奴隷)からなる都市国家である。都市国家アテネの人々の暮らしには最低限の監視しかなかった。警官も検閲官もいないし,戒厳令もない。だが同じ都市の住民にいつも取り囲まれ,その目にさらされている。「1人1人の住民が警官のようなものだった」とジェームズ・デヴィッドソンは言い,裁判の決め手は証人で,その証人のなかには家庭内の召使も含まれており,争いごとになりそうなほとんどすべてについて証言台に立った(そして,ほとんどが争いごとになった)と付け加えている。
司法の領域のほかにも,世間の評判というものがあった。身分や階層が同じ人たちはお互いに知り合いだったし,言葉を交わしていた。世間の評判は重大事だった。「都市国家ポリスの成長のなかで,とくにソープロシュネーを重視する条件ができあがった」とノースは言う。「都市国家ポリスはその本質からして,大きな自制を求めていた」。
人々の関係が密だった(窮屈ではあったにしても)都市国家と比べれば,現代の都市は,いやそれ以上に交通が激しくて,玩具菓子ペッツのように次々に商品がケースから出てくる大型店舗がどこにでもあるような郊外住宅地は匿名性が強くて,だだっ広く,とくに規制が働きにくい。住民の顔が見える都市国家ポリスではソープロシュネーが強制されたとすれば,現代の都市は「アクラシア」と呼ばれる苦しみの土壌となる可能性が大きい。そしてこのアクラシアは名づけられた昔から,哲学者の熱い議論の的になってきたのである。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.128-129
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