現在,静かな活況を呈している自己コントロールという研究分野では,ウォルター・ミシェルはどうしても触れざるを得ない重要人物だ。彼がトリニダードで調査したやり方は「楽しみを延期するパラダイム」と呼ばれている。いますぐ小さい楽しみをとるか,いまは我慢して将来もっと大きな楽しみをとるか(楽しみはずっと大きいが,我慢する期間はそう長くはないので,比較すると楽しみははるかに大きいことが多い)という方法は,楽しみを延期する力や自己コントロール能力を調べるうえで標準的な手法になった。カリブ海滞在の成果としてミシェルは,楽しみを我慢する力と注意力,知力,年齢,家族構成,所得などとの関連を調べた一連の研究結果を報告している。彼の研究はこの分野で最も重要な疑問に取り組んだものだった。さらに重要なのは,トリニダード滞在が自己コントロールについて実験的に理解するというミシェルの生涯の研究テーマの出発点となったことだ。その後の研究で驚くような成果がいくつも現れるが,ほとんどはカリブ海での発見が元になっている。現在,自己コントロールについてわかっていること(あるいは推測されていること)の多くは,ミシェルの初期の研究にまで遡ることができる。だからこそ,いまでも彼の研究には注目すべき価値がある。
もう1つ,ミシェルの研究から生まれた「マシュマロ・テスト」は,研究者にとっても評論家にとっても不可欠の概念,道具になった。マシュマロ・テストでは,いまならマシュマロを1つ,しばらく我慢すれば2つあげるよ,と子どもたちに言って,どちらかを選ばせる。ミシェルのマシュマロ・テストがもとになってさまざまな自己啓発書が書かれ,フィラデルフィアのチャーター・スクールでは「マシュマロを食べちゃだめ」と書いたTシャツまで生まれた。さらにこのテストは,科学的な色合いを帯びたイソップのアリとキリギリスの物語として,政治的な意味をもたされることもある。マシュマロ・テストについてはこのあと詳しく述べる。ここでは,ミシェルの調査は人々の暮らしに自己コントロールがいかに重要かを明らかにしたことを指摘しておきたい。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.146-147
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