コールドな状態のわたしたちは,ホットな状態がどれほどのパワーを持ち,どんな行動をとらせるかがわからず,大幅に過小評価してしまう。それどころか,コールドなときには,誰かの行動を見てもホットな状態がどれほどのパワーを持っているか想像がつかない。事実,コールドな人は過去の自分の「熱に浮かされた」行動ですら理解できない。同じことはホットな状態にも言える。ホットになるとコールドな自分にまったく聞く耳をもたなくなる。このことは,食べ物やセックス,ドラッグに関する実験で再三,裏づけられている。
オデュッセウスにもわかっていたのだろう。彼は夜のうちは自らの情熱の炎に照らされてカリプソにうつつを抜かし,昼になると海辺で故郷を懐かしんで泣く。その故郷では妻のペネロペが言い寄る求婚者たちをしりぞけていた。美しい女神のそばで「ホット」になっているオデュッセウスは,昼の冷静な彼とは事実上,別人だった。
セックスに関する限り,ほとんどの男性にこのことがあてはまるのはたしかだ。ローウェンスタインとアリエリーは35人の男子大学生にお金を払って,性的興奮状態のときとそうでないときに質問に答えてもらい,両者に大きな違いがあることをつきとめた。(オーガズムに至らない自慰行為によって)性的興奮状態にある男子大学生は,男性とでも,太った女性とでも,大嫌いな人とでもセックスしたいと答える割合が高かった。さらに緊縛や打擲,アナル・セックスにも同意し,喫煙はとても魅力的だと答える者が多かった。さらにセックスするためなら悪事も厭わないという傾向が強かった。たとえば愛していると嘘をつくのも,女性に酒を飲ませるのも平気だ,と大多数が答えた。さらに女性にはっきりと「ノー」と言われてもつきまとう率は2倍,こっそりドラッグを飲ませる率は5倍にも昇った。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.166-167
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