ヴァージニア大学の神経学者の目に留まった40歳の教員のケースほど,英国の詩人フィリップ・ラーキンのこの言葉をよく理解させてくれるものはなさそうだ。その教員は妻と義理の娘と穏やかに暮らしていたのだが,あるとき何かが変化した。彼は禁じられたセックスへの思いに取り憑かれ,その思いがどんどんエスカレートしていった。
このあとに見るように,厄介な思考はなかなかコントロールできない。だがこの教員の場合は,ふつうの男性が頭のなかで楽しむ他愛ない憧れやちょっと突飛な幻想ではすまなかった。彼の思考はもっと危険で執拗だったので,まもなく教員は,ときに自分自身の意思に反してでも行動するようになった。まずポルノを蒐集し,さらに売春婦とつきあい,マッサージパーラーを訪れるようになり,ついに彼の強迫観念は子どもに向かった。この男性は教員だったことを思い出してほしい。彼の関心が思春期前期の義理の娘に向かったとき,妻は警察に通報した。彼は自宅から引き離され,児童虐待で有罪になった。刑務所行きを免れるための最後の努力として,すっかり人が変わった教師はグループ・セラピーへの参加に同意したが,まもなくセラピーの場で女性に言い寄ったために放り出された。あとは刑務所に入るしかない。自由な身の最後の晩,彼はいくら我慢しようとしても家主の女性をレイプしてしまうのではないかと自滅的な恐怖にかられて過ごした。さらに激しい頭痛に苛まれ,ついに病院に駆け込んだ。
診断の結果,激しい頭痛の原因は切羽詰まった状況のせいではないことがわかった。たしかに偏頭痛が起こってもおかしくない状況ではあったが,男性の右眼窩前頭皮質に卵大の腫瘍が発見されたのだ。ここは判断や衝動のコントロール,社会的行動に関連する脳の領域と言われている。外科医が腫瘍を取り除くと,小児性愛の傾向もポルノや売春婦,レイプへの興味もすっかり消えた(それらが戻ってくるとまた問題が生じ,再び手術を受けることになった)。
ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.181-182
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