1798年11月8日,イギリス人ジョン・ファーン(John Fern)船長率いる捕鯨船ハンター号がナウルに接近した。すぐに数席のカヌーが偵察にやってきた。驚いたハンター号の乗組員は船から離れず,ナウル人も小舟に乗ったままであった。だが,ナウル人からは,敵意はまったく感じられなかったという。これこそナウル人とのファースト・コンタクトである。ポリネシア諸島に滞在経験のあったジョン・ファーンは,ナウル島民の体に,ポリネシア人のようなイレズミがないことに気づいた。数百人のナウル人がイギリス船の後をついてきた。このファースト・コンタクトに感動したイギリス人船長は,この島を「プレザント・アイランド(快適な島 Pleasant Island)」と命名した。この島は,おそらく数十年の間,他のヨーロッパ人とコンタクトを持つことがなかったと思われる。
リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.31
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