1896年,ナウルに停泊した船の船長ヘンリー・デンソン(Henry Denson)が,化石化した木のような奇妙な石を手に入れた。パシフィック・アイランド・カンパニーに勤務する彼は,これをシドニーの本社に持ち込んだ。この石は彼の事務所の床に数年間,無造作に放置されていた。3年後の1899年,同じくパシフィック・アイランド・カンパニーに勤務するアルバート・エリス(Albert Ellis)の目にとまり,エリスはでん損にこの石を分析したいから貸してほしいと申し出た。すると,なんとほぼ純粋なリン鉱石で会ったことが判明した。ちょっと伝説めいたこの発見の物語の背後では,リン鉱石とナウルの人々の運命が決定されたといえよう。
アルバート・エリスはオセアニアでリン鉱石を血眼になって探していた。パシフィック・アイランド・カンパニーはリン鉱石の鉱脈をいくつか開発していたが,土壌がやせているイギリスの自治領オーストラリアにとっては,充分な量ではなかった。オーストラリアの農業には肥料が必要であったことから,化学肥料の主要な原料となるリンが欲しかったのである。純度の高いリン鉱石のナウルでの発見は,状況を一変させた。これはオーストラリアにとっても,ナウルにとっても事情は同じであった。
リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.34
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