1941年12月7日,日本はハワイの真珠湾を攻撃し,第二次大戦に参戦した。ドイツの軍艦の攻撃により,ナウルに駐留していたオーストラリアの派遣小部隊は撤退した。太平洋における日本の存在感は,ますます大きくなった。1942年春,珊瑚海海戦がパプアニューギニア沖やソロモン諸島沖で繰り広げられた。ナウルの岸辺からは,日本の軍艦や戦闘機が毎日のように見えたという。1942年2月,孤立したオーストラリア兵は,ナウル沖を巡航していたフランスの駆逐艦トゥリオンファン号に救出された。
ナウルの人々は置き去りにされてしまったのである。8月26日,日本軍は太平洋上の燃料補給地を確保するために,巡洋艦四隻をナウルに上陸させた。沿岸部にそって滑走路が敷かれた。数週間のうちに沿岸部には防御陣地がいくつも設置され,アメリカ空軍の攻撃に対抗するために,巨大な高射砲がナウル最高峰の地点コマンド・リッジに据えつけられた。
1943年の間,島はアメリカのB-24型爆撃機による爆撃を何回か受けたが,アメリカ兵が上陸することはなかった。兵站を絶たれた日本兵,そしてナウルの人々は,食料の補給に支障をきたし始めた。ナウル人,軍事基地を設営するために日本軍に連れてこられた労働者,日本軍の派遣部隊などで,島はあっという間に人口過剰となり,食料不足に陥った。そこで日本軍は,ナウル人1200人をトラック島へ強制連行し,500人の男たちは日本軍の労働力として島に残した[また,ナウル人のハンセン病患者39人を別の島に移送すると偽って連れ出し,ボートを沈没させて水死に至らしめ,水死をまぬがれた者は射殺した事実も明らかになっている。なお,かつてトラック島と呼ばれた環礁の小さな島々は,現在のチューク諸島で,ミクロネシア連邦に属している]。
リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.46-48
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