成金となったナウル人の暮らしは様変わりした。国が何から何まで面倒をみてくれる。国の金庫はすでに現金で満ちあふれていたことから,税金を払う必要はまったくなかった。国のおカネで,当時としてはとてもモダンな病院が建設された。ナウルの病院で対応できないときは,国の費用でメルボルンにある有名私立病院へ転院させてくれた。ナウル国家はメルボルン東部に長期入院患者の家族が滞在できる住宅まで購入した。
島では電気などの各種公共サービスはすべて無料であった。高校生は国のおカネで海外留学ができた。大学生になると,オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やメルボルン大学はもちろん,ニュージーランド,イギリス,アメリカの大学に留学できた。
島ではなんとトイレも国が掃除してくれた。個人の住宅の片づけや掃除のために,国が家政婦を雇ったのである。1970年代のナウルは,国民が仕事に出かけるために毎朝起きる必要がないパラダイス国家であった。彼らの代わりに,中国人やアイランダーたちが働いてくれた。船釣りや,家族行事,島を囲む唯一の道路をただ延々とドライブするなど,ナウル人はおもにレジャーを楽しむためだけに暮らした。つまり,不労所得で暮らす彼らは,文字どおりに暇をもてあました消費者として過ごしたのである。
リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.64
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