1990年代は,あたかも島全土に警鐘が鳴り響いたかのようであった。リン鉱石の採掘現場の面積は,島の80パーセントに達した。ナウルの破壊を示す掘削跡が,数平方キロにわたって広がっていた。21世紀になって,島には草木は多少なりとも生えてきたが,荒廃した掘削跡を隠すまでには至っていない。自然が比較的残っているのは,島の外縁部だけである。20世紀初頭のナウルの写真を見ると,アスファルト舗装される以前の細い道の両脇には,ココヤシの木が密生して森になっていたことがわかる。だが,それから1世紀後には,島には数本のココヤシの木やユーカリの木を除き,木がほとんどない状態になってしまった。森を切り開いて建てられた道路沿いの住宅は,メンテナンス不足からあばら屋状態となっている。
リン鉱石産業の衰退は危険水域に達した。年間産出量が50万トンを下回ったのである。採掘に必要な設備や道具は老朽化し,修理されることもなければ,買い替えることもなかった。オーストラリアの技術者や地質学者は,リン鉱石の埋蔵量が枯渇に向かうことで,操業に見合う安定した産出量が確保できなくなることから,リン鉱石産業は2000年代初頭には終了するであろうと予測した。1997年には,リン鉱石の産出量は過去最低を記録した。
リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.85-86
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