ジョン・ラミングによると,ナウルの国家歳入の半分に相当する年間4000万ドル近くが航空会社に投入されていたという。航空機の搭乗率が20パーセントを上回ることはなく,採算ラインを割っていた。しかし,最も重要なことは,エア・ナウルのおかげで,太平洋諸国の空の便が確立されたことであった。これは大統領の信念であったが,経済的にはまったく愚かなアイデアであった。
エア・ナウルの累積赤字は,航空会社の営業損失だけで5億ドルから6億ドルという,すさまじい額に達していたと思われる。その後,財政基盤のもろいエア・ナウルは急降下した。既存の路線を維持できなくなり,所有機材のボーイングを次々と売り払った。最後は1機だけとなったが,この航空機も2005年にナウルの融資返済が滞ったことで,銀行が差し押さえてしまった。
リュック・フォリエ 林昌宏(訳) (2011). ユートピアの崩壊 ナウル共和国:世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで 新泉社 pp.133
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