当時,去勢手術を受けるために選ばれた幼い少年たちに,選択の余地はほとんどなかった。たいていの場合,彼らはこれで貧乏から抜けだそうと狙う貧しい家庭の子どもだったのだ。実はバチカンは,野蛮だという理由で精巣の除去(カストレーション)を禁止しており,教会法でも民法でも禁じられていたのだが,それでも何世紀ものあいだ見て見ぬふりをされてきたのだった。現代風に言えば,被害者の家族は,息子は病気のために精巣を除去した,あるいは乗馬中事故にあった,またはイノシシの角で突かれたと申し立て,去勢手術を“拒否した”,といったところだ。
思春期になると男性の声帯は成長して厚くなり,声は低くなる。しかし去勢を行うと,必要なホルモンの分泌が妨げられるため声帯の成長が止まり,声変わりをしなくてすむ。その結果カストラートは,成人男性の肺活量を持ちながらボーイソプラノの高い声を保てるのである。
手術を施されるのは,8歳から10歳の少年だ。もし読者が男性なら,次の段落は読み飛ばしたいと思うかもしれない。
まず,手術を受ける少年は気を失うまで熱い風呂に入れられ,中にはアヘンで麻酔をかけられる場合もある。その猛烈な暑さの中,睾丸はその機構が破壊されるまで手でもまれて潰され,その後,精巣から伸びている精管が切断される。実は,この手術は必ずしも常に成功するというわけではなく,中には命を落とす子どももいたのである。
カストラート全盛期には,推定4000人のイタリア人少年にこの手術が施された。いたましいことに,手術をすれば美しい歌声が生まれるという誤解から手術を受けた子どももいたが,もちろん,去勢手術の効果があるのは,元来美しい歌声を持つ少年だけである。
また,たとえ手術が成功したとしても,その先にはもっと多くの苦難が待ち受けていた。家族は名声と富を求めて息子にこの残酷な手術を受けさせる。しかし実際のところ,18世紀の舞台人生は今日のそれとほとんど変わらないのだ。去勢手術を受けた者のうち,その仕事でトップを極めるのはほんのひと握り。4000人のうち,成功を期待できるのはわずか1パーセントほどで,大半の者は通常の家庭生活とは無縁のまま,たまに仕事にありつくのがせいぜいだった。
トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック 日暮雅道&林啓恵(訳) (2007). 図説「最悪」の仕事の歴史 原書房 pp.239-240
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