とりあえず,水兵たちには“十分な食事”が1日に3回与えられていた。彼らの四角い食事用ブリキ容器には,見た目のまずそうな食事が,量だけはたっぷりと盛られていたが,メニューは1週間ほとんど変わりばえがしなかった。その食事の中心は塩漬けにして樽に保存された肉だったが,この肉は食べる前にまず真水につけておく必要があった。いっぽう炭水化物は,乾パンのかたちで摂取された。これは小麦粉と水で作られた長期保存のきくパンだが,いかんせんゾウムシがつくことが多いのだ。ムシがつけばたんぱく質は増えるが,決して食欲をそそる代物ではない。そして野菜は,水で戻した干し豆だけだった。
たしかに,18世紀の労働者にすれば,この食事もわれわれが思うほど悪いものではなかっただろう。それでも,食糧に関する苦情について触れた海軍条例があるところをみると,船の厨房が必ずしも問題のない場所ではなかったようである。
だが,唯一の喜びである酒だけはたっぷりと支給されていた。乗組員たちは1日につき,450グラムの乾パンと450グラムの干し肉,そして4.5リットル,つまりパイントグラスに8杯ものビールが与えられていたのである。だがこれは,たいしてアルコールの入っていない弱いビールで,本当に問題だったのは“グロッグ”のほうだ。
乗組員は全員,1日に半パイントのラム酒の配給を受けていた。これに水を混ぜたものがグロッグだ。言ってみれば彼らは,アルコール度の低い8パイントのラガービールと,ラム酒のコーク割り12杯に匹敵する量の酒を胃に流しこんで仕事をしていたというわけだ。檣楼員たちは年がら年中酔っ払った状態で,策具を飛びまわっていたのである。
トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック 日暮雅道&林啓恵(訳) (2007). 図説「最悪」の仕事の歴史 原書房 pp.250-253
PR