自分が最高の合理的行為者だという考えは,一度よく検討すれば,ばかげていると感じるはずだ。それにもかかわらず,その魅力は根深い。もう1人の現代心理学の父ハーバート・サイモンはこのばかばかしさを指摘したことに対してノーベル経済学賞を受賞した。20世紀前半の経済学では,想像上の経済人が可能な選択肢を評価し,富を最大にする最適の選択をするとされた。それに対して1950年代という,現代的なコンピュータの使用および決定の基礎として情報がどのように用いられているかについての現代的考察の夜明けの時代に,サイモンは実際の経済的決定は,そんなやり方で行われていないことを指摘した。現実の問題では,一般的に言って,どの選択肢が最適かを決めるために情報は利用できないし,利用できるとしても,それを評価するための計算資源あるいは心的資源を欠くだろう。最良の選択肢を選ぶ代わりに,私たちが現実の意思決定においてするのは充分良い選択肢を選ぶことだ。サイモンの用語では,最適化するのでなく満足化するのであり,包括的合理性の概念は,限定合理性に置き換わる。すなわち,利用できる情報と,それを利用できる能力の制約の範囲内での合理的選択である。その気になれば,ほとんどどんなことでも利用できたが,サイモンは要点を示すためにチェスを用いた。コンピュータ・プログラムでは,起こりうる結果をある程度詳しく調べて,選択可能なすべての手を評価し,最も有望な手を選ぶことによって,実際にチェスができる。明らかに,人間は,このようなことはまったくしない。その代わりに,満足化する。つまり,充分良い(受け入れ可能な程度の,有利さあるいは勝利の確率が得られる)手が見つかるまで選択肢を考えて,その手を使う。サイモンのノーベル賞受賞に示されているように,人間の現実の合理性に基づく経済学は,抽象的で,包括的で,理想的な選択肢の評価に基づく経済学とは大いに異なる。
ジョン・ダンカン 田淵健太(訳) (2011). 知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源 早川書房 pp.35-36
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