よくある反応は以下のようなものだ。人の性質が,たった1つの数,つまり1回のIQテストで得られた点数に還元されるはずがないではないか?人の価値が1つの数字でとらえられるはずがないではないか?それぞれの人は,多くのもの(無数の特殊な才能や,蓄積した個人的知識,個人の生涯をかけて築いた経験)の独自の集合体であり,無限の様相と色合いを持った個性的存在だ。そんな豊かさを立った1つの数字に還元することによって,gは,人間性の真の多様性と魅力をとらえそこなっているのではないか?
人をたった1つの数字に還元する思想を攻撃する声を,これまでに私はたくさん聞いてきた。しかし,誰かがこの考えを擁護するのを聞いたことはないと思う。明らかに,スピアマンのg因子とs因子の理論は,このようなことをまったく意図していない。この理論は,gの概念において,人間性に関するあることを提示している。多くの一連の研究は,それが重要であることを示している。しかし,この理論は,同様に重要なその他無数のことも様々な形で認めている。確かに,どんな科学の理論であれ,同時にすべてのことを扱うのを期待するのは無理だ。
価値に関しては,スピアマンの理論の範囲外だ。私たちは会う人を無数の尺度,つまり,誠実さ,笑い方,礼儀正しさ,威厳,魅力,冷静さ,忠誠心などで評価する。私たちは,スキーのジャンプ競技の選手,芸術家,圧制と戦う人,他人を守る人,屈服しない人,自分自身の関心より他人の関心を優先できる人を賞賛する。私たちは数えきれないさまざまな尺度で,人を評価し,愛する……しかし,これはスピアマンの理論が関与することではない。この理論が関与するのは,人間の行動に関する並外れて優れた観察と,どのようにその観察を説明するかに関してだ。
同様の考え方が,よく行われる新しい種類の「知能」の定義,すなわち実際的知能,社会的知能,感情的知能に反映されている。スピアマンの時代以降理解されてきたように,人は無数に多様であり(実は,このことを示すのに科学はほとんど必要ない),多くの種類の「知能」を定義することによってこのことをとらえるのも,なんとなく正しいように思われる。それどころか,前に説明したように,「知能」という言葉自体,明確な意味をほとんど持っていない。お望みなら,数個のことだけを「知能」と呼ぼうが,多くの異なることを「知能」と呼ぼうが自由だ。人間の性質と能力には無数の変種があり,それらの重要性は,それらをどう呼ぶかによって影響されない。
ジョン・ダンカン 田淵健太(訳) (2011). 知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源 早川書房 pp.74-76
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