人種集団間のIQ分布の違いは,純然たる事実として,私にとってせいぜい科学的に物珍しいことでしかない。この事実は,個人ではなく集団全体として考えれば,驚くべきことではない。たとえば,米国の黒人と白人は,遺伝子や収入,学校教育,生活が異なっている。これらをすべて考慮すれば,IQの分布(あるいは他のどんな分布でもよい)がまったく同じだったときこそ驚くべきだろう。また,この事実は特に興味深くもない。差し迫った科学的問題や解決されれば有用な情報が得られそうな問題を提起していないからだ。様々な集団のIQ分布に潜在的に影響する,こうした多くの制御できない要因を考えれば,はっきりした説明がいつか簡単に手に入るとは想像しがたい。
ところで,この事実に気を取られていると,真の政治的課題を忘れてしまう。たとえば,遺伝因子は人種差の1因かという問題をめぐり,長期にわたる論争が行われている。政治的にも科学的にも,この論争はまったく的はずれだと思われる。つまり,これは,私に言わせればせいぜい物珍しいことに過ぎない。個人ではなく全体の分布に関係する簡単には解けない問題なのだ。一方,論争の範囲を完全に超えているのが環境の影響だ。人生や業績が,教育や資源,両親や同輩の影響に関する機会によって形成されることを知るのにほとんど科学は必要ない。さらに,社会政治的に言えば,こういった機械の不平等こそが真に重要なことだ。それは,社会における不公平さと関わり,それによって無数の市民の人生を形成している。遺伝子とは違って,意志力を充分に発揮すれば,その問題には実際に取り組めるのだ。こうしたことに人種差別が実際に関係しており,それはまた抽象的な集団の差異ではなく,それぞれの人に機会や権利,価値を与え,敬意を払うかどうかに関係しているのだ。
ジョン・ダンカン 田淵健太(訳) (2011). 知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源 早川書房 pp.77-78
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