「いじめられる側も悪い」なんていう発言をよく聞いたりしないかい?「抵抗しないから悪いんだ」「周りをイライラさせているのがいけないんだ」「もっと明るくならなくちゃ駄目だ」「本人にだって責任があるんだ」。でも,この手の発言って,そもそも間違っているし,加害者のためになっていて,むしろ有害なんだ。
「いじめられっ子にも責任がある」という発言の多くは,どうしてそうなったのかという「理由」と,誰の責任かという「責任」ともごちゃまぜにしてしまっている。
例えば,君が図書館に行ったときに,たまたま自転車に鍵をかけないでいたら自転車を盗まれたとする。そのことを誰かに言ったら,「それは君が悪いよ」と冷たく突き放されてしまった。でも,これって,おかしくない?悪いのは,どう考えたって盗んだ犯人だ。君は悪くないはずだ。
確かに,君が鍵をかけていれば,自転車を盗まれる確率は減ったかもしれないし,これからも自転車に乗り続けられたかもしれない。でも,それはあくまで,盗まれてしまった「理由」が,「鍵をかけなかったこと」にあったという話であって,君が「悪い」とか,君に「責任がある」とかっていう話とは別のはずだ。
内藤朝雄・荻上チキ (2010). いじめの直し方 朝日新聞出版 pp.56
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