トイレの習慣に関しては,世界はおおまかに言って2つに分類される。湿式(水で流す)と乾式(水を使わない)である。肛門をきれいにする方法でいえば,水を使うか紙を使うか。右側通行と左側通行の習慣同様,このような文化が突然変わることはめったにない。インドやパキスタンには水を使う文化があって,排泄後に局部を洗い流すための,ロタ(小さな水差し,あるいはコップ)入りの水がなければ,トイレを我慢することさえある。トイレ空間の世界的権威,アレクサンダー・キラによると,19世紀のインド人は,ヨーロッパの人々が紙で局部を拭くという話を信じようとせず,その話を「不道徳な中傷」だと考えたという。
そして日本は,トイレ習慣に関しては紙の文化である。拭く文化であって,洗う文化ではない。けれども,毎日の入浴の習慣や,衛生や礼儀に対する厳格な考え方からすると,日本には洗う文化も存在する。清潔,清浄を保つことは神道の4つの教えの1つである。ヨーロッパの人々のように,身体を洗わずに湯船に入ることは,日本人には考えられないことだ。日本には古くから檜でできた共同浴場の伝統があり,そこでは,湯船につかる前に身体をきれいにするのが当然だからである。
ところが,こうした衛生に関するルールは,トイレには持ち込まれなかった。日本人は,紙で拭く習慣をもつ世界中の人々同様,お尻が汚れたまま外を出歩くことになんの抵抗も感じていなかった。紙で肛門を拭くことは,衛生学的には,乾いたティッシュで身体を拭いて,汚れが取り除けたと考えるのと同じくらい意味がない。
紙で拭く文化は,実際のところ,人間の身体のもっとも不潔な部分を,もっとも効果のない方法できれいにしようとしている文化だ。そして,このことを衝撃的な形で実証したのが,J.A.キャメロン博士のすぐれた調査である。博士は1964年に,イングランド中南部のオックスフォードシャーに住む940名の男性のパンツを調べ,そのほぼ全員のパンツが便で汚れていることを突き止めた。その程度は「ミツバチ色のシミ」から「かなりの大きさの,まぎれもなく便とわかるもの」まで多岐にわかっていた。キャメロン博士は,この結果に愕然として,「大部分の人は,レストランのテーブルクロスについたトマトソースのシミ程度で,すぐに大声を張り上げるが,一方では便で汚れたパンツのまま上質のソファに座り,贅沢な暮らしを楽しんでいる」と述べた。
ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.39-40
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