公の場でプライバシーを守るためには,アメリカの社会学者,アーヴィング・ゴフマンが言う「儀礼的無関心」が必要だ。つまり,他人のなかでの暮らしを耐えうるものにするための技術である。彼らがそこにいることを認識はしているが,あらゆる手段を使って,知らないふりをするのだ。あらゆる種類の排泄の音が自分のものであると悟られないために,個室に長々と留まっていた経験のある人はどのくらいいるだろう?新しい恋人がいるベッドルームからあまりにも近すぎるホテルのトイレで,身の縮む思いで用を足したことがある人は?わたしはある。そしてこれからもあるだろう。
現代のプライバシーという概念は,トイレのドアと同じくらい確固たるもののように思われているが,じつはこの言葉の歴史は浅い。ノルベルト・エリアスは,その著書『文明化の過程』で,工業化が進んだ社会に住む人々は,長い間にいつのまにか,ある種の行為を他者の目を逃れて行いたいという抑えがたい欲求を抱くようになった,と述べている。そして,これは必ずしも進歩とは見なせない,と彼は記す。現代の習慣のなかには,わたしたちの祖先をぞっとさせるものがたくさんある。
ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.197-198
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