流動性が高いアメリカでは,2流大学の1流教授は,たちまち1流大学に引きぬかれてしまう。また業績が上がらない2流大学は解雇され,3流大学に流れていく。ひとたび3流大学でティーチング・マシーンになったら,研究者としてカムバックする道は閉ざされる。
この結果,スタート地点ではピカピカだった。博士の多くは,10年後には行方知れず,あるいは“透明人間”になってしまうのである。
学生も同じである。優秀な学生には1流大学から奨学金が出るから,2流大学には入らない。また成績が悪い学生には,たちまち退学勧告が出る。能力と実績による完全な輪切り社会,それがアメリカの大学なのである。
“識者”の中には,ひとたび准教授になれば,遅かれ早かれ教授に昇進する日本の大学は甘い,と批判する人がいる。しかし処遇が厳しいのは,アメリカでも若者だけであって,ひとたびテニュアを手にしてしまえば,地位は安泰である。
アメリカの名門デューク大学に勤める友人に聞いたところでは,テニュアを手に入れたあと,業績不振が理由で解雇された人は1人もいないということだ。つまりアメリカの大学も甘いと批判される日本と,それほど違わないのである。
ついでに言えば,年齢による定年制を廃止したアメリカの大学は,70歳超の教授が溢れる“老人天国”である。
今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ教授の事件ファイル 新潮社 pp.39-40
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