出費が嵩む教授の間で,昔々からコッソリ行われてきたのが,研究費の中から学生にアルバイト謝金を支払い,仕事をしてもらった分を除いたお金の一分を,“合意の上で”上納してもらうという手である。
工学部という組織には,実験がつきものである。教授・助教授は,年3500時間働いても足りないくらい多くの仕事を抱えているから,自分で(時間がかかる)実験をやっている余裕はない。かつては,実験助手や教務補佐員というポストがあって,これらの人に仕事を頼むことが出来たが,公務員の定数削減が進む中で,これらのポストは削られてしまった。
一方,助手は一人前の研究者だから,手足としてこき使うことはできない。こうなると,実験やプログラミングを頼めるのは,大学院生だけである。
大学院生は,日頃から指導を受けている教授に頼まれれば,イヤとは言いにくい。権威が10分の1に落ちたとはいうものの,教授の頼みを断れば,指導が手抜きになるかもしれないし,時給1000円程度であっても,自分の役に立つ仕事を手伝ってお金をもらえるなら悪くない。運が良ければ,ほとんど仕事をせずにお金をもらえる場合もある。
仕事をしない学生にアルバイト代を払うことは禁じられている。しかし,仕事をしたかしないかを認定するのは,仕事を依頼した教授である。学生は出勤簿に印鑑を押しさえすれば,仕事をしたことになるのである。
学生アルバイトには,週20時間までという制限があるから,支払えるお金は月に7〜8万円が限度であるが,働かなかった分を上納してもらえば,年に20万くらいになる。これだけあれば,極貧学生の生活補助など,自分の懐から出ていく様々な出費の半分くらいは取り戻せる——。
このようなことは,やらない方がいいに決まっている。しかし80年代までは,相当数の教官がこれをやっていた。ある程度の研究費を持っていて,何人もの大学院生を抱える教授の中で,このようなことをやったことは一度もない,と言い切れる人はどれだけいるだろうか(高潔な纐纈東大名誉教授は,絶対にやらなかっただろうが)。
事務官はこのようなことを知っていたはずだが,見て見ぬふりをしていたのは,工学部教授が自分の懐を痛めていることを知っていたためだろう。
この種の“犯罪”が広く世間に知られるようになったのは,90年代に入ってからである。それまで秘やかに行われていたものが,大規模かつあからさまに行われるようになったからである。
今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ教授の事件ファイル 新潮社 pp.130-132
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