プロのライターにしろ,ウェブサイトで文章を書くブロガーにしろ,あるいは大学生に注意を呼びかけるチラシを作る大学の担当者にしろ,カルト団体からの面倒くさい抗議など,できれば避けたいと考えるだろう。ましてや,抗議への対応がこじれて訴訟沙汰になるのは最悪だと考えるかもしれない。
しかし,「絶対に訴えられない文章」を書くことは不可能だ。100%真実と言えるだけの根拠と物証を揃えて,一言一言誤りのない文章を書いたとしても,カルト団体が民事裁判を起こすとこはできる。海外の事情はよく知らないが,少なくとも日本の訴訟制度では,根拠のない言いがかりのような理由でも訴訟を起こすこと自体はできてしまう。
私は,カルトからの抗議に対応するため弁護士に相談することがしばしばある。そんなときに相談する相手の1人が,第3章で登場したY弁護士だが,彼は事あるごとに「訴えられない一番の方法は,書かないことだ」と言う。
もし,あなたが何が何でも訴訟を避けたいというのであれば,もはやカルトについて何も書かないか,あるいは抗議が来た瞬間に記事を撤回するしかない。
しかし,それでは何のために記事を書いたのかわからない。そればかりか,問題のない記事について謝罪したり撤回したりしてしまえば,カルト側はそれを「実績」として,さらにほかの批判者を屈服させるための材料にすることもある。
うかつに記事を撤回したり謝罪したりすることは,ただ単にあなたのプライドが傷つくだけではなく,同じような表現活動をほかの人々に悪影響をもたらしかねない。
だから,カルトについて文章を書こうとするなら,訴えられないようにすることにこだわるのは,あまり得策ではない。むしろ,訴えられる可能性を受け入れ,「訴えられても勝つ」ことを目指すのが,最も理にかなっている。
藤倉善郎 (2012). 「カルト宗教」取材したらこうだった 宝島社 pp.254-255
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