しかし,過去の臨床経験によると,生まれたときから目の見えなかった人に,開眼手術を受けた後にはじめて見る世界を表現してもらうと,明るいところと暗いところがさまざまに混ざり合った複雑な模様が見えるばかりで,何が「図」で何が「地」なのかの区別ができないという。また,何が「近く」にあるもので,何が「遠く」にあるものか区別ができない風景であると報告するそうだ。そして,こうした手術によって視覚を手に入れた人が,目に入る世界のしくみに慣れて,自分の近くにあるものと遠くにあるものとの区別ができるまでには,大変な時間がかかるという。
こうした経験は,生まれたばかりの赤ちゃんの視線を追ってみてもわかることである。養育者としては,生まれたばかりの赤ちゃんに初めて対面したら,にっこりと微笑んでほしいなどという期待をしている。しかし,実際の赤ちゃんは,生後何週間かは,目が泳ぎ,大人の顔の輪郭あたりを見つめるばかりである。だから,私が期待する目と目で見つめ合うようなふれあいはまだまだ先のことなのである。
これは,ちょっと残念な気がするが,赤ちゃんは,この3次元の世界で,どこまでが対面している大人の範囲で,どこからが背景なのかを必死に探しているのだと考えれば,いとおしくも思えるのではないだろうか。
増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.36-37
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