このテストは,「20の私」テストと呼ばれている課題である。では,まず紙と鉛筆を用意していただきたい。そして,準備ができたら,「私は」という言葉を,横書きで1回1回改行しながら,20回繰り返して書いてほしい。すると,縦に「私は」という言葉が20段書かれていることになっていると思う。ここまでで準備完了。それでは,「私は」という言葉に続けて,「私」とは何者であるかを自由に記述してほしい。別に正解はないので気軽に考えていただきたい。
さて,どんな答が出来上がったであろうか?
筆者がアメリカの大学で心理学のクラスを教えていたときには,「私は頭がいい」と臆面もなく書く学生がクラスの90パーセントもいたので,ちょっと面食らったのだが,こうした答えでも問題ない。実際,このように一般的に見て自分を形容する個人的な性格特性を用いて,「私は短気な性格だ」「私はなまけものだ」「私は外向的な性格だ」といった答えを書いた人も多いだろう(日本人の多くの読者の方は,アメリカの学生よりは,謙虚な答えを書いたのではないかと思う)。
しかし,多くの人は「私は◯◯大学の学生だ」「私は××社の係長だ」「私はサッカー部のキャプテンだ」「私は3児の母だ」「私は長男だ」といった,自分が属するグループのカテゴリーや役割,役職を書いたのではないだろうか。
アメリカ,日本をはじめ,世界各国で行われた「20の私」テストの結果を見ると,自分について考える際に,どのような形で表現することが多いかという度合が,文化によって異なっていることがわかる。
総じていうと,欧米文化圏の人たちは,東アジア文化圏の人たちと比べると,「私は◯◯な性格だ」といった個人に属する性格,性質,能力といった特徴で自分を表現することが多い。それに対して,東アジア文化圏の人たちは,先ほど述べたように自分の社会的属性を使って,自分を表現することが多かったのだ。
増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.156-157
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