衣食足りて礼節を知る,という言葉がありますが,この『アヴィニヨンの娘たち』に始まるピカソの前衛手法は,それこそ衣食足りた後に試みられた前衛に他なりません。当時のピカソにとっては,実験作『アヴィニヨンの娘たち』が評価されようがされまいが,当時の生活には影響がなかったわけです。
絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは,その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。
画風を目まぐるしく変えたことから「カメレオン」の異名もとっていますが,その作風の変遷をつぶさに眺めてみますと,それぞれの時期に彼の絵を扱った画商の顧客の趣味を忠実に反映していることがわかります。
画廊もそれぞれに路線や得意不得意があり,キュビズムのような先鋭的な作品を売り出すことに情熱を燃やす画商もいれば,印象派のように販路の確定した作品を売るのに熱心な画商もいます。ピカソの作風を見て感心させられるのは,そうした画商の路線にじつに柔軟に対応して画風を変えてみせている点で,こうした姿勢はピカソが画商を描いた肖像画にまで徹底されています。
西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.45-46
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