後の精力的な生涯からすれば意外なことに,ピカソは死産児として生まれています。
呼吸もせず動きもしない新生児のピカソはサンバの蘇生の試みもむなしく,生命の兆候を見せようとしませんでした。皆があきらめていたのを,父親の弟で医師のドン・サルバトールが葉巻の煙を赤ん坊の鼻に吹き込んだところ,顔をしかめ怒ったような泣き声で蘇生したといいます。
煙草の煙にむせながら怒りの産声を上げて地上に舞い降りた出生は,その後の彼の人生を暗示するかのようではあります。その蘇生した子に付けられた名前は,パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダート・ルイス・イ・ピカソという長いもので,このうちパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダートまでが洗礼名。パブロはその略です。最期のピカソは母方の姓で,父方の姓は,その前にあるルイスでした。
スペインの命名は,聖人から先祖まで多くの名を連ねることが少なくありませんが,ここまで長い名はあまりありません。両親に待ち望まれていた男児だったせいで,これほど長大な名を授かることになったのでしょう。父の名はホセ・ルイス・ブラスコで,母の名はマリア・ピカソ・ロペスですから,彼の名は一族の中でも特別に長いものであったようです。
西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.70-71
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