王政を終焉させた革命政府は,それまで王の臣民であった人々を,フランスの国民とするために国語教育を徹底します。こうして,従来は教会の管轄下にあった初等教育が政府の管理下に置かれることで,教育の力点は宗教教育から読み書き能力の修得に移行し,人々の識字能力は急速に向上します。これに,都市への人口集中と印刷技術の発展が加わり,新聞雑誌の需要は従来とは比較にならないほど増大していきます。
今日からすると意外な感もあるのですが,この新聞雑誌において大きな人気を誇っていたのが美術批評でした。王室コレクションが開放されて美術館に展示されたものの,その鑑賞法がよくわからず,公募展のサロンに出かけてみても審査ができるほどの鑑賞のキャリアを持たない市民階級の人々は,そうした美術品の見方の指南を活字文化の中に見いだそうとしたからです。
文豪ゾラや詩人のボードレールはそうした近代美術批評のパイオニアで,驚くべきことにそれらの批評は,彼らが小説や詩作で名を成したがゆえに依頼されたものではありませんでした。逆に,彼らは批評によって生活の安定を得た後に,本格的な小説や詩作に取りかかっているのです。それほど,当時の美術批評というものには大きな需要があったのです。
西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.119-120
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