父親の施された英才教育のおかげで,ピカソが少年時代からデッサンの達人であったことは知られています。画家としての地位を確立して以降の,描き殴ったような破天荒な作品は,そうした絵画の写実技法を否定することで誕生した,といわれることも多いのですが,この言い方は必ずしも正確とはいえません。彼の筆力は,むしろそうした前衛的な作品において圧倒的に示されているからです。
展覧会や画集で,視界のすみにチラッとおそろしくリアルな作品がの目に入り,改めて見直してみるとピカソの絵であった,ということは少なくありません。初期の「青の時代」や「バラ色の時代」の写実的な作品であれば別に不思議ではないのですが,こうしたことは,中期以降の写実描画を捨てたかに見える作品により多く見られます。意識して見直してみると支離滅裂にしか見えない絵が,無意識に視野に入った時にのみ,どきっとするほど写実的な作品に見えるのです。
改めて見直してみると写実描写のかけらもないはずの画面なのですが,そこに乱暴に引かれた線やべったり塗られた色面が,じつはこれ以上は考えられないように巧妙に配置され,驚くべき写実性を基盤に描かれていることに気づかされるわけです。
これは,見る側がデッサンに精進すればするほど痛感されるようになりますから,勉強熱心な絵描きほど,ピカソの筆力には脱帽せざるを得ないことになります。この神がかったまでのデッサン力は,釘で引っ掻いたような銅版画の線などでは戦慄的なまでに発揮され,わずか1本の輪郭線で人体に,筋肉や骨格の構造から,それらをうっすらと覆う贅肉までが描き出されています。
ここまで見事な素描は,ルネッサンスの巨匠による人間離れしたデッサンでも,そうはお目にかかれません。少年時代の彼のデッサンを見ても,その写実描写と存在感の表現には度肝を抜くような迫力があり,現代画家には稀有な筆力を見せつけています。
絵画に限らず芸事では,幼い頃から身につけた基礎力というものは,いくつになっても容易に抜けるものではありませんから,彼がいかに前衛的な画風を試みたところで,この脅威的なデッサンを抜き去ることはできなかったのでしょう。
西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.162-163
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