犯罪に問われる恐れがあるのに武装解除や和平に応じるお人好しはいない。DDRで仕事を得ても,自分たちが逮捕される可能性があれば意味がないからだ。そのため,多くの場合,和平合意の際は,武装勢力が武器を手放して兵士を辞めることと引き換えに無罪にすると明記される。結局,シエラレオネでも,兵士たちは恩赦を与えられ,経済的に不満を抱かないよう一般市民として生きるために手に職をつける権利を得た。
平和とは,時に残酷なトレードオフのうえで成り立っている。その「加害者」には,元子ども兵のミランのように,好んで加害者になったわけではない,むしろ紛争の被害者といえる者もいる。物心ついたときから銃を持たされ,教育を受けたこともなく,戦うこと以外に自分の価値がないと心から信じてしまう者もいる。こういった人々への救済策は,確かに必要だ。
一方で,家族を失ったり,身体に障害が残ったり,家を失い避難民となっている「被害者」に,同じレベルの恩赦が行き渡ることはめったにない。加害者の人数と比べて,被害者の数が圧倒的に多いからだ。シエラレオネで最終的に武装解除された兵士の数が7万2千人ほどであるのに対し,死者数は推定5万人,被害者数はおよそ50万人である。
被害者たちは,元兵士たちの不満が爆発した時,犠牲になるのは自分たちであり,我が子であることがわかっている。そして,「平和」という大義のために,加害者の裁きをあきらめ,理不尽さをのみ込み,自らの正義を主張することを身を切られる思いであきらめる。
瀬谷ルミ子 (2011). 職業は武装解除 朝日新聞出版 pp.66-68
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