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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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携帯しながら運転

 運転,携帯電話,気が散るという話を聞いて,こう思う人は多い。運転中に助手席の相手と話すのは,べつに悪いことではない。なぜ電話で話すのは,それ以上に危険なのだろう(読者の中には,これまでの私たちの話に深くうなずき,「話しながらの運転」をすべて彙報にする運動を,はじめようと思った人もいるかもしれないが)。じつは,助手席と話すことは携帯電話で話すよりも問題が少ないのだ。実際に,助手席と話しても運転能力への影響力はゼロに近いことが,数々の調査で証明されている。
 助手席の相手と話すことは,携帯で話すよりはるかに問題が少ない。それにはいくつか理由がある。第1に,となりにいる相手と話すほうが,話が聞きやすくわかりやすい。そのため,携帯の場合ほど会話に注意を奪われずにすむ。第2に,となりにいる相手の目も,あなたの助けになる——不意になにかが道路に飛び出してきたときに,気づいて知らせてくれるかもしれない。それは携帯で話している相手には,できないことだ。携帯の相手と助手席にいる相手とのちがいで,もっとも注目すべき第3の理由は,会話に対する社会的要求と関係がある。車の中にいる相手と話す場合,相手にはあなたの状況がわかっている。そのため,運転のむずかしい場所にさしかかったあなたが急に口をつぐんでも,相手はすぐにそのわけを理解する。あなたに対して,会話を続けるようにという社会的要求はなされない。あなたが運転中であることを車にいる全員がわかっており,それにあわせて会話に求められる社会性も調整される。だが,携帯で話している場合,たとえ運転のむずかしい場所にさしかかっても,あなたは会話を続けるようにという強い社会的要求を感じる。なぜなら会話の相手には,あなたが突然黙り込む理由が見えないからだ。これら3つの要素がからみあうため,運転中の携帯電話はあなたの気を散らすその他のことがら以上に危険である。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.41-42
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