だが,1つの仕事に対して注意を集中させる能力に,個人差があるということは考えられる。ただしその能力は,一般知能や教育程度とは関係がない。そして注意力の個人差で,予想外のものに気づく割合もちがうとしたら,パスを数える作業をらくにこなせる人のほうが,ゴリラに気づく確率が高いはずだ。数える仕事に苦労がいらないため,ゆとりができるからである。
この仮説を試そうと考えて,ダンと大学院生のメリンダ・ジェンセンが最近実験をおこなった。彼らはまず,「赤いゴリラ」の実験で使ったような,コンピュータ画面でパスを数える仕事を被験者に頼んだ。はたしてパスを正確に数えられた人のほうが,予想外のものに気づく割合が高かっただろうか。結果はそうはならなかった。予想外のものに気づく能力は,注意力と関係がなさそうだった。同様に,ダンとスポーツ科学者ダニエル・メンメルト(ゴリラのビデオを眺める子どもの目の動きを調べた研究者)も,予想外のものに気づく能力は注意力を無関係であることを発見した。これらの発見は重要な実際的意味をもっている。訓練で注意力を高めても,予想外のものに気づく助けにならないのだ。完全に予想外のものについては,いかに集中力のいい人でも(悪い人でも)気づく可能性は低い。
私たちに言えるのは,世の中には「気づき屋」も「見落とし屋」も存在しないということだ。どんなときも予想外のものをつねに見逃さないという人もいないし,つねに見落とすという人もいないのだ。
クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.49-50
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