ブリティッシュコロンビア大学の視覚科学者で,変化の見落としに関する研究のリーダーであるロナルド・レンシンクは,脳の働きがウェブブラウザに似ているという興味深い指摘をおこなった。コンピュータが発明されるずっと以前に生まれたクリスの父親は,インターネットの膨大な情報がどうやって自分の受信機(彼は自分のパソコンをそう呼んでいる)に入ってこられるのか,教えてほしいと繰り返しクリスに訊ねる。たいていの人は,インターネットの情報は何千万台ものパソコンに配信されるもので,パソコン1台ごとに情報のコピーが蓄えられているわけではないのを知っている。だが,インターネットの接続が早く,ネットワークのサーバーの速度も早い場合,インターネットの仕組みについて,そう考えたくなるのもわかる。画面上では,ブラウザのリンクに沿って進むとページの中身がたちどころに現れ,知りたい情報が即座に手に入るからだ。1台1台のパソコンに情報が蓄えられているというのは,納得できる誤解であり,誤解してもふつうは支障がない。だが,いったんインターネットの接続に不具合が生じた場合,あなたの「受信機」は,機械の中にそなわっていると思っていた情報へアクセスできなくなる。そして自分が話していた相手が別人に代わっても気づかないという実験結果が示すとおり,パソコンと同じく私たちの記憶の中にも情報がほとんど蓄えられていない。パソコンがウェブの中身を蓄える必要がないのと同じように,私たちは情報を蓄える必要がないのだ。自分の目の前にいる相手を見たり,サイトへアクセスしたりすれば,たいていその場で情報を入手できるからである。
クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.179
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