私たちは,自らの複雑な心理傾向,性格,能力などについて考えるとき,自分についての真実と見なされているものを告げてもらうため,内なる神官におうかがいをたてる。私は社会生活に満足しているのか,結婚を続けたいのか。よい親といえるのか。ここであなたは,自分についての記憶の中から,その仮説が正しいという証拠をかき集めようとする。楽しかった先週末のパーティー。自分の生活のささいなことを知りたがる配偶者の可愛さ。風船で上手に動物をつくれる自分の腕前。
ところが聞き方を逆にすると,記憶の中からまったく違った証拠が次々とあふれ出してくる。私は社会生活に不満なのか。すると友人たちのほとんどに,うんざりするような癖があるのを思い出す。離婚したいのか。そう考えると,2人とも黙りこくっていた結婚記念日のディナーの記憶がよみがえる。よい親とはいえないのか。突然,大事なものを電車の中に置き忘れてしまう悪い癖があるのに気づく。「あなたは自分の社会生活に満足していますか」(「不満ですか」ではなく)と聞かれた人のほうが,満足度が高くなるのは,こうした理由からなのだ。別れたくない相手に対して「もう私を愛していないの?」と尋ねてはいけない理由もここにある。
コーデリア・ファイン 渡会圭子(訳) (2007). 脳は意外とおバカである 草思社 pp.88-89.
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