だがあいにく,人物の特徴を言葉に置き換えると,あとでその人物を認識する能力が損なわれることがある。この可能性は1950年代に発見されたが,それに対する興味が1990年におこなわれた一連の実験で復活し“言語隠蔽効果”という新しい名称がつけられた。1つの実験では,2グループの被験者が,犯人の顔が映っている銀行強盗のビデオを30秒見た。1つのグループは,見たあと5分間で犯人の顔の特徴を「できるだけ詳しく」書きだした。比較対象グループは見たあと5分間,無関係なことをした。それが終わったところで,被験者は外見に似通った8人の写真の中から容疑者を選び,自分の選択に対する自信の度合を採点した。
この実験は,実際に事件が起きた時の手続きを,下敷きにしたものだった。警察は目撃者に容疑者の特徴を詳しく訊ね,同じ目撃者がのちに数枚の写真から容疑者を見分ける。実験結果では,ビデオを見たあと無関係なことをした被験者は,64パーセントの確率で容疑者を見分けた。では,容疑者の特徴を詳しくメモした被験者のほうは?彼らの正解率はわずか38パーセントだった!書き出した言語情報は,犯人の顔を最初に捉えた視覚による非言語情報を曇らせた。そして言語情報のほうが,正確度が低かったのだ。皮肉なことに,直感的には外見を分析すれば正確な記憶に役立つように思えるが,少なくともこの例の場合は,分析を引っ込めて反射的なパターン認識にまかせたほうがいいらしい。この実験で調べられたのは客観的な記憶だけで,感情的な評価はふくまれていないが,内生的な熟考は成果をあげなかった。
クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.299-300
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