ところで,世間的にみれば,迷留辺荘主人は,仮にも心理学者ということであった。したがって,世間の人が,迷留辺荘主人は,日がな,本を読んだりものを書いたりという生産的なことをしていると想像しても,それほど見当ちがいな想像とは言えないだろう。しかし,いま書いたように,実態はすこぶる非生産的なものであったと言わなければならない。
そこで。ごくふつうの世間の人間から迷留辺荘主人の妻などというものになってしまった私の母親は,ある時,迷留辺荘主人におそるおそるたずねてみたそうである。「もう少し,なにかおやりになったらいかがですか?」と。そうしたら,言下に返ってきた迷留辺荘主人のことばは,「おまえさんのような者に,おれの頭の中を見せてやりたい」というものだったそうである。それ以来,これも明治生まれの女である私の母親は,自らのプライドもあって,この種の質問を発することはやめたそうである。
なるほど,頭の中では活発な生産活動がなされていたということであるのか。言われてみれば,一理も二理もあることである。しかし,時としては食べることにも事欠くような生活を強いられている者が,そんな理くつをスンナリ受け入れることは,なかなかむずかしいことであった。
たしかに,学者の生産は,たくさんの本を読むことや,たくさんの論文を書くことだと考えるのはいささか偏頗な学問観であると言えなくもないのかもしれない。しかし,迷留辺荘主人のように,本は読まない,論文も書かないということに徹する生き方が,どういう学問的立場でありうるのかということについては,私自身いまだにシックリした結論を出せないままでいる。
内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.16-17
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