たとえば,迷留辺荘主人は仮にも心理学者であったから,問題行動のある子どもを持ったおかあさんが相談に来たりすることがよくあった。ある時,家の中のお金を無断で持ち出してしまう子どものことでオロオロしながら相談に来たおかあさんに向かって,迷留辺荘主人は,「できるだけあちこちにお金を置いといて,あとはうっちゃらかしておきなさい」と言ったものである。その子がお金がほしいのに,お金をかくしたりするから無断で持ち出すのであって,いくらでもその辺にお金がころがっていれば,無断で持ち出すようなことはしなくなるものだ,というのが迷留辺荘主人の考えであった。その提言は,ひとつの見識であろうけれども,オロオロ相談にやってきたおかあさんの気持ちとは落差が大きすぎて,おそらく実行には移されなかったにちがいない。いったいに,迷留辺荘主人には,「人を見て法を説く」姿勢にいささか欠けるところがあったように思う。
内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.31
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