ここで迷留辺荘主人といわれている内田勇三郎は,1894年(明治27年)から1966年(昭和41年)まで生きた心理学者である。東京銀座のたばこ屋(専売以前の)に生まれ,東京府立一中,岡山の第六高等学校を経て,東京帝国大学文学部心理学科を卒業した。卒業して間もなく,東京府立松沢病院に勤務し,そこでドイツの精神医学者E.クレペリンの「連続加算法」による作業検査の研究に出会う。その後その方法に着想を得て,こんにち「内田クレペリン精神検査」とよばれている心理検査を開発・研究した。
また,旧制の第五高等学校,早稲田大学,埼玉大学,日本大学,社会事業大学などで,心理学を講義した。1947年(昭和22年)ごろから,前述の内田クレペリン検査の研究・普及のために,日本・精神技術研究所を自ら主催した。現在,内田クレペリン検査は日本でもっともよく普及している心理検査のひとつで,年間何百万人以上の人がこの検査を受けている。
内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.66-67
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