日本・精神技術研究所は,迷留辺荘主人が,1947年(昭和22年)に内田クレペリン検査の普及のために設立した私設研究所である。「日本」などと大きく名乗ってみたものの,その研究所は迷留辺荘そのものの一室であった。そしてそこにお弟子さん風の人や,書生さんのような人が出入りして,おしゃべりをしていくのであった。もちろん飲み食いしながら。「精神技術」というのはサイコ・テクノロジー(psycho-technology)の日本語訳で,心理テストやカウンセリングなどの技術のことを意味している。「日本」と「精神技術」の間に「・」(中黒)を入れたのは,いつだったか「日本精神」と読まれて,右翼団体とまちがえられたための,苦肉の策であった。
1966年(昭和41年),迷留辺荘主人が亡くなってからは,法人組織になり迷留辺荘からも離れて,いささかの近代化をとげた。それとともに宮沢賢治の童話に出てくるような牧歌的研究所のイメージもなくなってしまったかもしれない。
内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.67-68
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