それでは,彼は学者として何をしたかというと,結局,内田クレペリン検査のデータを大量に集め,研究することを通して,人間における素質的(生物的)なものの重要性を確認し続けたとでも言えるかもしれません。しかし,そんな風に言うと,なんだかおもむきが違ってきてしまうようにも思えます。心理学の先輩の城戸幡太郎さんが言われたそうですが,ちょうど「少年が捕虫網で蝶々を追っかけるような感じ」で,喜々として内田クレペリン検査のデータを集め,眺め暮らしていたと言った方がいいでしょう。しかも,そういうことを書斎で孤独に綿密にやるのではなく,色々な人とワイワイやりながら(それこそしばしば飲み食いしながら)盛大にやりっ放していたという感じです。(文部省体育研究所や早稲田大学時代のことをいろいろな方から聞くと,飲み食いを伴うおしゃべりの中から,さまざまなアイディアが出され,試され,一部がまとめられるといった形で研究がなされていたようです。しかし,ともすると,飲み食いに力点が置かれてしまう傾向が強かったと皆さんが指摘することもたしかです。)
たしかに,こういったやり方は,あるいはもっとも先端を行くやり方であったと言えるかもしれません。けれどもその一面,彼自身がもう少しメリハリをつけ(計画的に),深く緻密に研究をし,さらにその成果を形にしてゆくことに意を注ぐべきであったということも言いたくなるところです。皆さんが,彼のねらいや展望にユニークさを見てくださるだけに,ちょっと残念です。
内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.83-84
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