幸運にも,今は精神分析以外にも心の隠れた部分をさぐる方法がある。過去2,30年で,社会心理学者の間では精神生活の隠れた面とその役割について,興味がどんどん高まっている。彼らの研究には,よいニュースと悪いニュースがあった。
よいニュースは,無意識はよく言われるような,単なる心理的葛藤を戦わせる場ではないということだ。無意識は私たちのために,てきぱきとあくことなく働いてくれている。ある有名な社会心理学者は,これを“頭の中の執事(メンタル・バトラー)”と呼んでいる。私たちの必要なものや欲しいものを,わざわざベルを鳴らさなくても,黙って揃えてくれる。面倒な仕事を無意識が引き受けてくれるおかげで,意識は人生の目的について考えたり,重大な決定を下したり,もろもろの業務をこなすことができるのである。
悪いニュースは,仕事を他人に任せるときは,それなりの代償があるということだ。従順な無意識に仕事をさせてしまうと,その仕事がどのように行われているのかはっきりとはわからない。
実は,これは悪いニュースではない。無意識の精神活動を行っている従順で働き者の召使(脳)を,主である意識(われわれ)が支配しているという関係は,比喩だとしても,たしかに悪い気はしない。本当に悪いニュースは,そもそも数少ない意識的な選択自体が,実は幻想にすぎないかもしれないということだ。
コーデリア・ファイン 渡会圭子(訳) (2007). 脳は意外とおバカである 草思社 pp.140-141
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