風船爆弾は正しくは「ふ」号兵器といい,昭和19年11月から翌20年4月にかけて,福岡県勿来,茨城県大津,千葉県一宮海岸の3ヵ所から計9300発が打ち上げられた。水素を詰めた気球に15キロ爆弾と数個の焼夷弾を吊り下げ,これを太平洋上空の偏西風に乗せて,アメリは本土攻撃をおこなうという壮大な作戦だった。9300発のうち推定1千発がアメリカ大陸に到達したといわれ,各地に山火事を起こした。しかし季節が冬だったため,雪が火を防ぎ,いずれも大規模な森林火災にはいたっていない。
ただ,オレゴン州で森に引っかかっていた巨大な気球を,たまたまピクニックに来ていた子どもたちが見つけ,おそらく気球とロープでつながっていた爆弾に触れたのであろう。突然爆破を起こし,子ども5人を含む6人が死亡している。
このふ号の気球が,和紙とこんにゃくでできていた。
材料に和紙とこんにゃくが使われたことについて,日本が資源に乏しかったためとする見方があるが,こえは必ずしも正しくはない。資源に乏しかったのは事実としても,陸軍がこの秘密兵器に和紙とこんにゃくを採用した理由はそれだけではなかった。気球の素材といえば,まずゴムが一般的だが,じつは当時,ゴムよりも和紙とこんにゃくのほうが素材として数段すぐれていたのだ。
ふ号はそもそも昭和17年4月の米軍による東京初空襲に対する報復手段として浮上してきた作戦で,兵器の開発は第9陸軍技術研究所(通称・陸軍登戸研究所)によって進められた。開発にあたり,陸軍では球皮の材料としてゴム引き布,合成樹脂,各種油脂,各種糊剤などの気密性測定をおこなっているが,そのなかで最もすぐれた結果を出したのがこんにゃく糊であった。
のちに米軍も飛来してきたふ号を徹底解剖して驚いている。球皮を調べた結果,その水素漏洩率は1平方メートル当たり1日に0.98リットルで,これは当時米軍が使っていたゴム引き気球の10分の1だったことが判明したからだ。
武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.118-120
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