ろくに腹の足しにもならず,格別うまいわけでもないこんにゃくを人がなぜ食うかといえば,なんとなくそこにあるから箸をのばす,という説明がもっとも適切であるような気がする。食べれば食感がぷりぷりとして独特だから,知らず知らずのうちにその食感を求めて箸をのばすのがこんにゃくであって,それ以上でもそれ以下の食べ物でもない。日本人はなぜか豆腐の味にはうるさいが,こんにゃくの味のよしあしについて講釈をたれる人は見たことがない。
つまり人びとの日常において,こんにゃくはあってもなくてもかまわない。そのこんにゃくが史上もっとも必要とされたのは,日本の存亡をかけた大戦中であり,しかも米本土攻撃という,きわめて大胆かつ奇想天外な近代兵器においてであった。
ちなみに,前述のようにふ号の気球ひとつにつき使用されたこんにゃく粉は90キログラムだから,打ち上げられた9300発に使われたこんにゃく粉は,しめて約840トンとなる。粉は30倍の水で糊にされたから,費やされたこんにゃく糊は約2万5千トン。2万5千トンのこんにゃく糊といってもピンとこないが,これをいま市販されている板こんにゃくにすると,ざっと1億枚が風船爆弾のために使われた計算になる。
武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.132
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