科学以前の時代の神話や民間伝承や伝説の断片は,寄せては返す波が砂浜に残す波形のようなものだ。力も意味もないくせに,ある秩序だけは存在する。時間や複雑な因果関係によってあいまいになっているが,規則正しい自然界の痕跡だけはまだ残っている。起源が何であれこのような伝承によると,人間の手足は体のどこよりも奇形になりやすい。それにはきっとそれなりの意味があるのだ。ギリシャ神話のオリュンポスの神々のなかで奇形なのは1人しかいない。ゆがんだ足のヘパイストスだ。彼は母親のへらに捨てられ,妻のアフロディテに裏切られ,恋するアテナに振り向いてもらえなかった。だが鍛冶の秘伝を人間に教え,工芸と鍛冶の神様になった。ギリシャ・ローマ時代の黒絵式や赤絵式の壺に描かれているヘパイストスはたいてい,生まれつき両足が内向き,つまり内反足だ。一方,人間のなかでは,父を殺し,母を妻にし,わが眼を潰したオイディプスが,最も有名な奇形かもしれない。生まれつき足が腫れていたので,「オイディプス(腫れた足)」という名が付いたのだ。
アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.96
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