サリドマイドは,どんなふうにその破壊的な効果をもたらすのだろうか?サリドマイドとそれがもたらす薬害に関する広範囲にわたる文献を総括しようとすれば,およそ5000の専門論文にも及ぶだろう。にもかかわらずサリドマイドについてはいまだにほとんど解明されていない。だが,わかっていることもある。サリドマイドは催奇物質であって,突然変異原ではないということだ。つまりサリドマイド被害者の子どもは通常と比べて,先天的疾患になる危険が大きいわけではないということだ。サリドマイドは変異を起こすのではなく,細胞の増殖を抑える。つわりがいちばん辛い時期(妊娠39日から42日)に妊婦が服用すると,母親と胎児の体を循環し,細胞分裂を阻止する。じつはこの時期は,胎児の将来の四肢となるごく初期の細胞集団が,みずからを形成する時期なのだ。だからサリドマイドの影響を受けた期間によって異なるが,1つか,それ以上の骨の前駆細胞が増殖できなくなる。その結果,四肢の一部が失われることになる。サリドマイドは肢芽の形成に不可欠なFGFの働きを直接妨害するという説もあるが,これはまだ推測の域を出ていない。サリドマイドの手口がどんなにひどいものであろうとも,強力な薬であることに間違いはないので,いつまでも使用を断念できないようだ。さまざまな病気に対して効能が指摘され,役立てようという声が高まるにつれ,サリドマイドをめぐるタブーは破られつつある。南アフリカでは,ハンセン病の治療に使われている。妊娠に気づいていない女性にも投与されてしまうため,再び四肢に異常のある子どもの出生が報告され始めている。
アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.105-106
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