アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック[1964-1901]の身長が低いのは,軽い大理石骨病のせいだと考える人たちがいる。だがこれは,この高名なフランス人画家についていままで後付の診断によって言われてきた,いくつかの病名(何骨形成不全症や骨形成不全症など)の1つにすぎない。この中にとくに説得力のある候補はないが,骨の疾患は山ほどあり,その症状も千差万別,かつ違いは軽微で,簡単に間違えてしまう。とくに患者の情報が,伝記や数枚の写真や選り抜きの自画像(ほとんど戯画化したもの)だったりするとそうだ。それでも,ロートレックの病名探しは続いている。彼の魅力の一部は——とくにフランスの医師たちにとっては——トゥールーズ=ロートレック伯爵家というフランスの名門貴族の出であるという事実だ。トゥールーズ=ロートレック伯爵家は南仏の名家だが,やわな貴族などではない。ルエルグ地方,プロヴァンス地方,ラングドック地方の大半を支配し,十字軍遠征ではエルサレムを略奪し,異端説に手を出して教皇に破門され(10回ほど),13世紀にはフランス国王の怒りを買い,攻撃された。だがアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの病名を突き止めたいと願うのは,何よりもこの天才画家が自分の奇形を芸術の一部にしたと考えられているからだ。
そう考えるにはそれなりの根拠があるのだろう。フランスのオルセー美術館や,アルビ(トゥールーズ市からそれほど離れていない)のトゥールーズ=ロートレック美術館で彼の作品を眺めると,鼻孔に目がいってしまう。ムーランルージュの踊り子ラ・グリュー,シャンソン歌手イヴェット・ギルベール,社交界の花メイ・ミルトン,その他大勢のパリの無名の高級売春婦たち。どれを見ても,目に入るのはぽっかり開いた暗い洞窟のような鼻孔だ。実物以上にきれいに見せようとはまったくしていない。ロートレックにとっては,ごく自然なことだったのだろう。彼は背が低かったからだ。成人しても,150センチしかなかった。批評家たちは,ロートレックの疾患は彼の芸術に微妙な影を落としていると主張した。1893年以降,モデルたちの手足を描かなくなり,絵の中は頭部と胴体だけになった。絵の枠は,彼自身の体の忘れてしまいたいだろうあの部分,つまり両脚を排除する道具となった。
脚のせいでロートレックはずいぶんと辛い思いをした。幼いころはかなり健康そうだが,7歳のころには母親に連れられて聖地ルルドに行っている。足の病気を治す方法はないものかと母親は願ったのだろう。彼は膝がよく曲がらず,歩き方がぎこちなく,転びやすかった。1年しか学校に通わなかったのは,繊細すぎて乱暴な男の子たちとうまくやっていけなかったからだ。10歳のころには,足と太腿に絶えず鋭い痛みが走ると訴え,13歳のときはちょっと転んだだけで両大腿骨を骨折した。杖で体を支えていた期間から判断すると,治るのに約6ヵ月かかったようだ。大人になってからはほとんどいつも,杖を使っている。実際,彼はどんな距離でもいやいやながら,ぎこちなく歩いているように友人たちには見えた。
アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.141-142
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