なるほど,彼らの気持ちもよくわかる。リンネが世界の人々をアジア人(黄),ネイティブアメリカン(赤),ヨーロッパ人(白),アフリカ人(黒)の4種類の人種に分類して以来,肌の色は人の属性を表す都合のいい印として悪用されてきた。リンネはこの4種類の人種を肌の色だけでなく気質でも分類した。アジア人は「厳格,傲慢,貪欲で,人の意見に左右される」。ネイティブアメリカンは「頑固で短気だが,満ち足りている。自己の習慣に固執する」。アフリカ人は「狡猾だが,怠惰で無気力,不注意。成り行きまかせ」と良い所は1つもないようだ。それで彼自身の人種はどうなのだろうか?リンネの考えでは,ヨーロッパ人は「明朗快活で創意工夫に富み,社会的習慣を重んじる」。これこそが,のちにアーリア人の優秀性を唱えた19世紀の理論家ゴビノー伯爵アーサーの著作を経て,南アフリカのアパルトヘイト——世界史上最も体系的な人種差別体制——で最高潮に達した,かの悪名高き知的伝統の始まりだった。
およそ50年にもわたって,南アフリカのアパルトヘイトの立案者たちは世界を敵にまわし,人種の海を2つに割くという絶望的な仕事に国の豊富な資源を費やした。「白人専用」と書かれた講演のベンチには誰が座ることができ,誰ができないかという堂々巡りの話し合いでは,警官や刑事や経営者だけでなく,実際ほとんどの市民が人種を判断する専門家になった。南アフリカの法律は,何を基準に「黒人」「白人」「カラード」(アパルトヘイトの用語では,アフリカ人とヨーロッパ人の混血の意)とするかについては,つねにわざとあいまいにしていた。場合によっては,あなたは誰を知っているのか?どこの出身なのか?人はあなたを誰だと思っているのか?といった程度のことが基準になった。だがこうした社会的基準に,一連の複雑な疑似科学的テストが混ざるようになった。テストの支持者は,「白人で押し通そう」としてもアフリカ人の祖先がいることを暴き出せると断言した。「鉛筆テスト」なんてものを信用する人もいた。被験者に多少でも黒人の血が流れていると,毛髪に鉛筆をさしても落ちてこないというものだ。ほかには爪の下の皮膚を見ればわかるとか,まぶたの色を見ればわかるとか,蒙古斑があればそうだとか,訳知り顔で吹聴する類のものもあった。さらに「陰嚢テスト」といって,性器の色を見ればわかるといったものまであった。1948年から90年まで南アフリカの学校,病院,職場など実際あらゆる公共の場で繰り広げられた人種差別では,子どもの運命は体じゅうのあらゆる部分の皮膚の色で決まった。
アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.228-230
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