人間の多様性に関わる遺伝学は道徳的に危険だとする主張のほうが,はるかに深刻だ。もちろん,人種主義的科学の歴史を鑑みれば,こうした」主張がどこから生まれるかわかるだろう。しかしながら,やはりそれは間違った主張だ。思慮分別のある人なら,人間どうしのあいだの相違などほんのわずかなので,それを悪用して社会正義の遵守を妨げる理はないことを熟知しているはずだ。グールドのスローガンを借りれば,「人間の平等は歴史上の偶然的な事実である」のだから。それよりも,人間の多様性の原因が研究されずにいる限り——世界の様々な地域の人たちを区別する7パーセントの遺伝子の多型が解明されずにいる限り,そのあいまいな部分を悪用して社会不正を促すような理論を展開する人々は,跡を絶たないだろう。社会不正が新しい知識の結果として起こることもしばしばだが,より多くの場合——はるかに多くの場合——社会不正は私たちの無知という知識の裂け目につけ込むのだ。
アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.303-304
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