会計操作は,決して正当化はできないにしろ,ある程度は理解できる。ほんの少し数字をいじるだけで,株価が上がる,株価の乱高下が収まる,オプションの価値が増す,配当金が増える,債券の格付けが上がる,などの好結果が得られるのだから。四半期ごとに市場の要求を満たさねばならない経営陣には,合理的な行為といえる。投資家も株価が高く保たれることで恩恵を得られる。
だとすれば,こうした操作がはびこるのも当然だ。金融の専門家たちを対象にしたある調査では,回答者の31パーセントが経常費の時期を操作していると認めた。さらに18パーセントが収益認識の操作を行なっていると答え,17パーセントが将来収益のつじつまを合わせるために高額すぎる経費を計上し,8パーセントが棚卸資産会計の操作を行なっていた。アメリカ,ヨーロッパ,アジアの743人の財務責任者に聞いたところ,3分の1の人が,自社の業績がアナリストの予測を下回りそうな状況では「自由裁量」を駆使して数字を上乗せする,と答えた。
会計操作は,攻撃型だが合法的な収益の管理と,明白な不正との間にかかる危ない橋だ。ある企業が合法から不正へと橋を渡ったことは,召喚状を持った法定会計士のチームが乗りこんで証明されることが多い。しかし不正の一歩手前で留まっていたとしても,最悪の結果は起こりうる。
ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.58-59
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