アメリカで子どもへの虐待が社会の表舞台に登場してきたのは1960年代であり,その火付け役となったのはケンペらの被虐待児症候群(The battered-child syndrome)という論文である。当時は不当な差別や抑圧に対して泣き寝入りはしない,という意識が高まってきた時期である。
1963年から67年までの5年間でアメリカ全州に虐待通報制度が導入され,幼児虐待の実態が把握されるようになった。70年代にはフェミニストの運動が高まり,彼女たちは性的虐待の原因が家父長制にあると主張した。1974年には児童虐待防止法が制定され,連邦の特別基金を州に与えることが定められ,通報が義務づけられる専門家の範囲と通報されるべき状態の範囲が拡大した。
1980年頃から北米で解離性障害が注目され,それと同時にそれまでほとんどみられなかった解離と幼少時外傷との関連についての報告が始まった。以来,性的外傷,身体的虐待,養育放棄など多くの外傷体験が解離と結びついているという報告がなされるようになった。
性的虐待はいっそう注目されるようになり,1980年から86年の間に性的虐待の報告は3倍以上にも増加し,他の虐待に比して格段に高い増加率となっている。さらに1994年,連邦議会はメーガン法を制定し,性犯罪者の監視による性犯罪の再発予防へと虐待対策を強化した。
一方で,1980年代後半から幼児虐待対策に抗議する反対運動,いわゆる揺り戻しがみられるようになった。「実証されない通報」の割合が増加したことも原因の1つと想定されている。1988年,ミネソタ州ジョーダンでの集団性的虐待の裁判事件,1983年,マクマーティン保育園の性的虐待の裁判事件などを通して,1992年には偽記憶症候群財団(False Memory Syndrome Foundation: FMSF)が設立された。
柴山雅俊 (2007). 解離性障害---「うしろに誰かいる」の精神病理 筑摩書房 pp.114-115.
PR