第2に,私の時代は,疑いなく自由に想像を駆けめぐらせることが許される時代であった。問題状況をうまく説明できるような仮説を作ることは,必ずしもたやすいことではない。自分自身に自由に考えることを奨励しなかったとしたら,私には単刎型幼虫の問題は解けなかっただろう。
もちろん,いまだに多くの大学の先生が,仮説作りをたしなめ,そして「偏見のない眼で事実を集め,それに基づいて物を言わねばならない」と声を大にしているのを私は知っている。彼らにとって,“お話”はだれにでもできるものなのだ。自らを頭脳労働者とみなしている人種が,考えることの価値を認めたがらないのだから奇妙である。だが,ポパーの『科学的発見の論理』,クーンの『科学革命の構造』が邦訳されたのが共に1971年であったことを考えると,これはある程度は仕方のないことかもしれない。私は良い時代に生まれたのだ。
ちなみに,私が科学方法論に興味を持ったのも,分類学の危機と関連がある。一分類学者として私は,分類学に向けられた批判——その中には正当なものも見当はずれのものもあったが——に対して反論を試みようとした。そのために,科学論は必要であった。ポパーやクーンの著作に出会ったのは,この時だった。
青木重幸 (1984). 兵隊を持ったアブラムシ どうぶつ社 pp.132-133
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