図書室は,新研究所のどの計画書にも必ず描かれていた,エジソンの方法は次の2つの作業に始まる。「1.問題の現況を研究せよ。2.すべての過去の経験を尋ねよ。そしてできる限りそのテーマのものすべてを研究し読み込むこと」。エジソンは十分な下調べもせずに新しい領域に乗り出すようなまねをする人物ではなかった。彼の多くの発明は他人の成果にもとづいて進められたのであり,電気照明を発展させる上でもそのことは歴然としていた。電気技術は世界的に広がり,人・機械・アイデアが大西洋を渡って交換されるからこそ急速な発展をとげていたのである。エジソンは彼の研究所にやって来る外国の機会(たとえばフランスからのグラム・ダイナモ)や文献からはかりしれない恩恵を受けており,自分の電気機械を制作するにあたり大事なヒントを得たりしていた。突破のきっかけとなる重要な情報は,パチノッティの環状電機子の発見のようにしばしば見慣れない科学文献の中に隠れていることをエジソンは電機産業の経験から心得ており,彼のまわりに流れ込む科学技術の最新の情報をいつでも利用してやろうとしていたのである。技術情報の流れは19世紀が下るにつれて大河のようになっていたが,発明工場の第1の役割はこの大量の技術情報の流れからいいアイデアをすくい取ることであった。エジソンにとっては電気の研究を進めることで新しい科学的地平が開かれるとともに,必要な知識を得るための資金ももたらされた。蔵書数約10万冊とされるウェストオレンジ研究所の図書室は,所員全員にとっての重要な情報源だった。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.12-13
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